主演女優賞の日

街中を歩いていて、ふとしたきっかけで思い出に胸がいっぱいになってしまうことがあります。そんな時は「今日も悲しい日になってしまった」と思ってこらえることなく悲しむことにしています。すれ違う人に変に思われても困るので、目にゴミが入ったふりをしてごまかします。

これまで私はそんな日を「悲しい日」と呼んでいました。でも、映画『PERFECT DAYS』を観てからは「主演女優賞の日」と呼ぶことにしました。

あの映画で役所広司さんはカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞しました。最後のシーンが忘れられません。あの表情。「悲しい日」に私はあの表情になります。

 2026年5月31日撮影

ジューンベリーの実が熟していました。花も実も楽しめるからと何年か前に苗を買ったのですが、枯らしてしまいました。

近所に何本かジューンベリーがあって、気づいたら今年もたくさん実をつけていました。この木をみるとまだ「主演女優賞の日」になってしまいます。

キンシャチサボテンの実物

東京薬用植物園の温室でキンシャチというサボテンを見ました。

 2026年5月13日撮影

これが大きかったんです。想像を超えて。

なぜかというと私の頭の中には、子どもの頃キンシャチサボテンと一緒に撮った写真が焼き付いているからです。

母はアルバムの写真一枚一枚にコメントを書いてくれていて、その写真にはこうありました。

「サボテンと私のかお どっちが大きいかな」

その写真の印象から、私はキンシャチサボテンを子どもの頭くらいの大きさだと思い込んでいました。ところが、東京薬用植物園の温室で見たキンシャチは、子どもの頭よりはるかに大きかったのです。私はとてもびっくりしました。

・・・ということはそんなに私の顔がデカかったということ?

 

ジャコウソウとハマナスを見に東京都薬用植物園へ

「アルプスの少女ハイジ」は、お花好きに楽しいアニメーションでした。

クララの病気が良くなるように、ヤギに体に良い草をたべさせます。おじいさんは栄養のある草を探しに山に入り、セキチクとタチジャコウソウをみつけます。

ジャコウソウという名前に聞き覚えがある気がして調べてみると、日本ではイブキジャコウソウが咲くことがわかりました。伊吹山で咲くジャコウソウなのかしら?

ちょうど東京都薬用植物園で咲いているようなので見に行ってきました。

絵とおなじ花でした。”薬用”植物園にあるのですから、体によさそうです。

2026年5月13日撮影:東京都薬用植物園にて

 

植物園ではハマナスも咲いていました。写真では香りがわかりませんが実際に行って、香りを楽しむことができました。北海道まで行かなくて済んでしまいました。

2026年5月13日撮影:東京都薬用植物園にて

 

 

クララの車椅子にブレーキが付いた

「アルプスの少女ハイジ」で、山にやってきたクララの車いすにおじいさんがブレーキを付けるシーンがありました。ブレーキを付けることで「いつも押さえてなくてすむわ」とハイジが喜んでいました。車いすに最初からブレーキが付いているのではないことに驚きました。

↓クララの車いすに付いた木製のブレーキ

私の実家は町工場で、父は金属加工の仕事をしていました。一時期、車いすの部品を作っていたことがあります。部品のうちでも多かったのがカムブレーキです。

↓これが実際に父の作っていたカムブレーキです。

「アルプスの少女ハイジ」は1974年(昭和49年)の放映でした。おそらくその少しあとくらいにカムブレーキを作っていたのだと思います。前後していたらハイジを見ながら家族中で大騒ぎだったことでしょう。

お話の終盤でクララの車いすは壊れてしまいます。ハイジがクララばかりにかまけているのでペーターは面白くなくてクララの車いすを坂に転がして壊してしまうのです。でもアニメーションの中では、クララが自分で車いすに乗ろうとして、誤って坂を転がり落ちて壊れてしまうのでした。印象的な場面なのにこんな記憶違いがあるのかしら?と調べました。

原作ではペーターが壊すそうです。私は学校の図書室で世界文学全集の「アルプスの少女」を読みました。たぶん初めて読んだ長編の物語だったと思います。原作の印象が強く残っていたのです。小さいころに読んだ本の記憶が正しかったことがわかり感動しました。

ハイジが摘んだ雪割草 〜ユキワリコザクラ

「アルプスの少女ハイジ」を見ました。スイスの山が舞台です。

ハイジがおじいさんの元にやってきたのが夏で、冬を越して初めての春が来た時のエピソードです。雪解けのあと一番に咲く花は「雪割草」だとおじいさんはハイジに教えました。でも私が知っている日本の雪割草は描かれている花とちょっと違います。「雪割草」と呼ぶのは「オオミスミソウ」と言って、葉っぱは三角(ミスミ)なのが特徴です。スイスのアルプスで雪割草と言っているのは何か違う名前があるのかしら?と調べてみました。するとサクラソウの仲間でした。そうです。北海道に咲く「ユキワリコザクラ」ではありませんか。ハイジが摘んでいる絵のとおりです。

北海道の黒岳で見たユキワリコザクラがとても可愛かったです。

2014年7月14日撮影:北海道黒岳にて

 

掃除機を応急手当

最近吸い込む力が弱くなってきたなぁ、と1か月ほど前にフィルターの水洗いをしました。フィルターを洗うとグンと吸引力が上がるはずなんだけど、それほどでもありませんでした。

へんだな、とは思っていました。そして気づきました。なんとホースがちぎれているではありませんか。

とほほ

7年ほど使っている掃除機です。電気系統が壊れたなら買い替えも諦めがつくところですが、これって、修理や部品交換なんてできないでしょう。

前の掃除機は確かスイッチを入れても動かない、という症状ではなかったかしら。あきらめきれない・・

そういえば。私、ビニールテープ持ってる。ぐるぐるぐる。

というわけで応急手当をしてみたら、少し空気が漏れる音は残るもののかなり良くなりました。これでもうしばらく使うことにします。

5歳で一等車に乗った日

JRがまだ国鉄だったころ、私は列車の一等車に乗車したことがあります。

5歳の時、母と二人で父の故郷・新潟に出かけた時のことでした。上野駅で列車に乗り、時間があると思った母は、弁当を買いにホームに降りました。その間に列車は発車してしまいました。

母は上野駅に取り残され、私は一人で座席に座っていました。同じボックスシートに座っていたお兄さんが「この子のお母さんが戻ってこない」と乗務員に伝えてくれました。私は乗務員に連れられ列車の一等車に移動することになったのでした。お兄さんが乗務員と話をしている様子や、一等車の座席に座ったことは今でも覚えています。

本当に一等車だったのか・・それが気になってこの話をAIにしてみました。すると「えっ……それはすごい体験だね。」返ってきました。すごいと理解できる反応に驚きました。

調べてみると、一等車がグリーン車になったのは昭和44年。昭和42年2月の出来事なので確かに一等車が存在したということになります。また、当時新潟方面に向かう急行「妙高」には一等車が連結されていたようです。母の実家は群馬県の前橋で、前橋までは普通列車で行くこともありましたが、新潟には急行に乗ったのだと思います。

私は次の停車駅の赤羽で降ろされ、母の到着を待ちました。赤羽で再会でき、無事新潟に向かいました。

母は日記を書く習慣がありました。日記にはこの出来事が記されていました。同じ年の5月に書いたもので、誤字もあったり、私の年齢が4歳となっていましたが、記憶を裏付けてくれる内容でした。

二月十二日のこと、雪を見せるため新潟へ行く
いつも<兄の名前:Y><私の名前:S>の二人をつれて行くのだが、<Y>は
学校のあるので<S>だけにすることにした。
この日は前日から東京も雪が降り何年振りかで
白一色の東京になった。
出掛ける時<最寄りの国鉄の駅:M駅>まで行かないうちに<S>
は、こんな事をつぶやいた。「あたし新潟へ雪
見に行かなくてもいい」出先にそんな事を云った
ので気にはしたが、上野で早足失配<早速失敗と思われる>をしてしまった
時間があると思って、座席を取ってから、おべんとう
を買う為にホームに出た時に気車は発車
アッと思った時にはホームをスベリ出して、
止める事は出来ない ただちに駅員に話し
赤羽に降してもらう様になったが、十二分位
の間気車の中で一人にされてさぞ泣いて
いるのではないかと、上野に残った私はどう
する事も出来ず、次に出る電車を待った。
赤羽に着いて、<S>を見た時に泣いていると
思った<S>は落着いたもの、泣くどころではない。
駅員の話しだと連絡をされて、四才の子供と
聞いたので泣いて車中でさわぎしている事だろ
うと思ったが、気車が着いた時に落付った子供を
見て、駅の方々がおどろいたとか、これを聞いた私は、
二十数分心配をしたり駅員の人達に迷惑をかけたが
我が子がこれ程落付いてしっかりして居ることを知り
思わぬ時にこれから何があっても安心する事が出来る
と知る事が出来た。

「行かなくてもいい」と言った記憶はさすがに残っていませんが、そうだよね。そうだったよね。という思いです。

1966年(昭和41年)10月の時刻表見つけました。もしかするとあの時乗っていたのはこの列車だったのかもしれません。