JRがまだ国鉄だったころ、私は列車の一等車に乗車したことがあります。
5歳の時、母と二人で父の故郷・新潟に出かけた時のことでした。上野駅で列車に乗り、時間があると思った母は、弁当を買いにホームに降りました。その間に列車は発車してしまいました。
母は上野駅に取り残され、私は一人で座席に座っていました。同じボックスシートに座っていたお兄さんが「この子のお母さんが戻ってこない」と乗務員に伝えてくれました。私は乗務員に連れられ列車の一等車に移動することになったのでした。お兄さんが乗務員と話をしている様子や、一等車の座席に座ったことは今でも覚えています。
本当に一等車だったのか・・それが気になってこの話をAIにしてみました。すると「えっ……それはすごい体験だね。」返ってきました。すごいと理解できる反応に驚きました。
調べてみると、一等車がグリーン車になったのは昭和44年。昭和42年2月の出来事なので確かに一等車が存在したということになります。また、当時新潟方面に向かう急行「妙高」には一等車が連結されていたようです。母の実家は群馬県の前橋で、前橋までは普通列車で行くこともありましたが、新潟には急行に乗ったのだと思います。
私は次の停車駅の赤羽で降ろされ、母の到着を待ちました。赤羽で再会でき、無事新潟に向かいました。
母は日記を書く習慣がありました。日記にはこの出来事が記されていました。同じ年の5月に書いたもので、誤字もあったり、私の年齢が4歳となっていましたが、記憶を裏付けてくれる内容でした。
二月十二日のこと、雪を見せるため新潟へ行く
いつも<兄の名前:Y><私の名前:S>の二人をつれて行くのだが、<Y>は
学校のあるので<S>だけにすることにした。
この日は前日から東京も雪が降り何年振りかで
白一色の東京になった。
出掛ける時<最寄りの国鉄の駅:M駅>まで行かないうちに<S>
は、こんな事をつぶやいた。「あたし新潟へ雪
見に行かなくてもいい」出先にそんな事を云った
ので気にはしたが、上野で早足失配<早速失敗と思われる>をしてしまった
時間があると思って、座席を取ってから、おべんとう
を買う為にホームに出た時に気車は発車
アッと思った時にはホームをスベリ出して、
止める事は出来ない ただちに駅員に話し
赤羽に降してもらう様になったが、十二分位
の間気車の中で一人にされてさぞ泣いて
いるのではないかと、上野に残った私はどう
する事も出来ず、次に出る電車を待った。
赤羽に着いて、<S>を見た時に泣いていると
思った<S>は落着いたもの、泣くどころではない。
駅員の話しだと連絡をされて、四才の子供と
聞いたので泣いて車中でさわぎしている事だろ
うと思ったが、気車が着いた時に落付った子供を
見て、駅の方々がおどろいたとか、これを聞いた私は、
二十数分心配をしたり駅員の人達に迷惑をかけたが
我が子がこれ程落付いてしっかりして居ることを知り
思わぬ時にこれから何があっても安心する事が出来る
と知る事が出来た。
「行かなくてもいい」と言った記憶はさすがに残っていませんが、そうだよね。そうだったよね。という思いです。

1966年(昭和41年)10月の時刻表見つけました。もしかするとあの時乗っていたのはこの列車だったのかもしれません。